生きている

毎日の生活の中で考えたこと

間接的な影響力

言葉よりも影響があるもの。
何かが変わっていく様をまざまざと見せることにより、事の真実を明らかにする。結果が出始めれば認めないわけにいかなくなる。
よい結果をもって見方を変えてもらえるよう、周囲と協調しながら一歩づつ。

親と恋バナ

小学生の息子の話によると、クラスの結構な数の男女がお付き合いをしているのだそうだ。なんとなくそういう話は耳にしていたが、
息子いわく、今のところ自分はそういうのはいい、ということである。理由は「気になってしまって今やっている○○や○○と両立できない」ということで、何とも彼らしい。

しかし、まあ何とも思っていない人からのアプローチはいいとしても、自分がいいなと思っている人から付き合ってくれと言われたらどうするのか?というこれもどうしようもなく仮定の話について(自分たちのさえない経験を元に)しばらく話をした。

そしてふと、親とこういった話をするということ自体、自分にはあり得なかったと思った。それは世代の違いなんだろうか、いや、多分親とそういう話をしていた人達はいたんだと思う。世代の違いはあっても、そういう話を親と冗談混じりにでもするのって、結構大事なことなんじゃないだろうか。

彼女よりもだじゃれ大会のほうが楽しそうな息子だが、○○や○○だけが人生じゃないので、色々失敗しながら人と関わっていってほしい。という思いは伝わったかな?




執着

いろんな人たちの執着が世間を賑わしている。昔は個人のプライバシーが世間に知られるといっても限度があったのだろうけど、ネット社会となった今、ポチッと送信すれば一発で世界に広がる。

でも、一生懸命発信したところで、欲しいものが手に入るわけではない。
自分の思うように他人が動いてくれることはない。

原動力はなんだろう。きっと満たされていないということは共通している。

時には今あることに感謝してみよう。

不自然と言われようが

ここ最近新しくできたようなコンビニでトイレに入ると、流水音に加えピヨ、ピヨと鳥のさえずりが聞こえる。
仕事でぐったり疲れ、もうノンストップで帰りたいけれど、やむなく立ち寄ったコンビニのトイレで聞く鳥のさえずりは、結構癒されるのである。そういう目的での音ではないのかもしれないが、、、

自宅のトイレには音姫はついておらず、この流水音プラス鳥のさえずりという品物はあるのかと調べたら、
「そもそもトイレで鳥の声なんか聞こえるわけないだろ。不自然」という感想を見つけた。

不自然だろうが、あの音は解放感と癒しという意味で大きな効果があると反論したい。

ロック好き中年

ヤフーニュースに峯田和伸の記事があった。最近は役者として活躍している。奇跡の人を観ていたけど、素なんじゃないかというくらい自然だった。
ゴイステの銀河鉄道の夜、という曲が好きだった。ステージは色々物議を醸したりしていたけれど、この曲のメロディーはストレートで今聴いてもとてもいいと思う。

で、今の峯田は期待されている役割をよく理解して出すぎず、でも好きな事をアピールしながら誰にもできない演技をする役者でもある。賢い歳の取り方だと思う。

MONOEYESの新譜が発売されて聴きまくっているここ何日か。
ロック好き中年であることが幸せだ。

知らない人に

どこまで丁寧に接することができるか、ということを考えていた時期があった。知らない人にも普通に親切にできる人は本当に優れた人だという感覚があった。

しかし実際はよく相手を知らないまま近づいたり知っている人と同じようににこやかに接することは危険なこともある。

そして、世間の多くの人はそれを知った上で自分のできる範囲の表現をしながら生活している。

今日は自分のあまりよくない面が出て、案の定「何言ってんですか」的な反応をされた。
でも、状況をよく知らない人に対して、すぐそういう反応を返す人もまたそういう人だ。

地鶏の炭火焼き

地鶏の炭火焼きは、ビールに欠かせないメニューとして、絶大な人気がある。これを家で作りたい、できれば炭を起こさずできないかと思ってググってみると、やはり同じ事を考える人がいるものである。簡単に方法が分かった。

鶏肉に塩コショウとかニンニクとかもみこんだ後、木炭の粉をまぶすという方法だ。鶏肉に火が通るまではフライパンでよいが、仕上げはバーナーか、網で煙に多少まかれるようにしたほうが香りがよい。その時少し煙が出るが、ずっと炭火で焼き続ける事を考えるとかなりお手軽かつ、まさにあの味である。

一晩たって、レンジで温めても、固くなく、おいしかった。